6月になりました


  自撮り41歳 2003年5月

 6月になりました。この週末は爽やかな初夏の陽気です。ただ、もうすぐ梅雨入りだそうで、雨自体は嫌いではないのですが、洗濯物が乾かなくて困った季節になります。

 今の職場に勤めてほぼ1年。昨年はサメの調査で左膝を壊し、調査の現場はもう無理だと、ほとんど諦めていたのですが、クジラの調査で声がかかり、6年ぶりに目視調査に復帰することとなりました。出港まであと3週間弱。今の仕事が忙しくて、なかなか頭が切り替わらないのですが、明日は乗船前の健康診断を受けます。帽子やサングラスを買ったり、過去のデータを見直したり、そろそろ準備しなくてはなりません。

大船渡・陸前高田 5


  防潮堤 2018年5月

 かの大震災から7年が経過しましたが、被災地では今も復興の取組みが続けられています。写真の大船渡地区のみならず、大規模な盛土や防潮堤の建設が行われ、すっかり景観が変わってしまいました。水産業の街でありながら、海の見えない街になるのは少々寂しい気もしますが、こればかりは、外からあれこれ言うべきではないのでしょう。今となっては、一日も早い諸施設の完工を願うばかりです。

大船渡・陸前高田 4


  震災遺構・気仙中学校 2018年5月

 同じく国道45号線沿い、鉄筋コンクリート造3階建ての気仙中学校です。3階の屋上には、この高さ、14.2mまで津波が来たことを示す看板がありました。もし、生徒たちが屋上に避難していたら、大惨事になったに違いありません。しかしこの中学校では、以前から校長先生が避難経路の見直しをしておられ、当初避難先の駐車場から、近くの高台に避難したため、一人の犠牲者も出さなかったそうです。
 また、避難経路の見直しに加えて、土地の古老から、チリ地震津波の際には川の水位が下がったという話を聞いていたことから、より高い場所への速やかな避難を決断するに至ったそうです。やはり経験者の知恵には耳を貸すべきだと、改めて思った次第です。

大船渡・陸前高田 3


  震災遺構・奇跡の一本松 2018年5月

 かつて陸前高田には高田松原という、美しい松林がありました。私も大昔に旅行で通りかかった際、その見事さに惹かれて立ち寄り、ベンチに腰掛け、コッヘルで沸かしたコーヒーを飲みながら白砂青松に魅入った記憶があります。

 そして東日本大震災。10メートルを超える大津波は、この1本を残して全ての松を根こそぎにしました。マスコミでも取り上げられたので、ご存知の方も多いと思います。「奇跡の一本松」。海水を被ったためとされていますが、残念ながら枯死してしまい、現在は処理をしたうえで保存されています。後方の陸前高田ユースホステルともども、今後も永く震災の語り部であってほしいと思います。

大船渡・陸前高田 2


  震災遺構・下宿定住促進住宅 2018年5月

 大船渡から国道45号線を移動中、盛土工事群の中に鉄筋コンクリート造5階建ての住宅が残されていました。4階まではベランダやガラス戸が破壊され、津波がこの高さまで達したことを示しています。さらによく見ると5階のベランダには津波の高さを示した表示があって、何と5階の腰の高さ付近まで津波が来たことを知り、驚愕したのでした。

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Author:mesoplodon
子供の頃から「生き物」「乗り物」「化け物」好き。海やら街やらで写真を撮っています。

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