第十八利丸


  田浦にて 1993年8月

暑い夏でした。初めて乗った調査船、第十八利丸は現役のキャッチャーボート。カバーがかかっていますが、ぐっとせり上がった船首にあるのが75ミリ捕鯨砲です。着岸しているのでちょっと分かりづらいですが、船首から船尾にかけてのラインが独特で、本当に格好良く思います。

操舵室(ブリッジといいます)の上には屋根(オーニングといいます)がかかっていて、調査員は船の方と一緒にそこ(アッパーブリッジ、あるいは単にアッパーといいます)の座席で一日仕事をしています。アッパーブリッジの後部には鯨探(クジラ用のソナー)を操作する機器室があり、その上にも数人(機関部の方)が詰めてクジラの発見に努めます。ブリッジの前方、高いマストの上には見張り台(トップマスト、単にトップなどといいます)があって、目視調査の時はここに2名(甲板部の方)上がってもらってクジラを探します。ブリッジには航海士ほか非番の人がいて、ここからもけっこう発見があります。アッパーには船長、調査員、機関部の人、舵取りの甲板部の人がいて、アッパーは4~6人、全部合わせて10名くらい(他の調査ではもっと増えることもあります)の人がひたすらクジラを探すわけです。

調査中、通常は11.5ノット(時速20キロくらい)で航行し、発見があると全速で現場に急行するのですが、この第十八利丸の林兼製7気筒3500馬力のエンジンは、それはもう滑らかな素晴らしい音を奏でてくれました。

ところでこの航海、夏のさ中に北緯12度付近まで南下したのですが、当時この船には食堂以外、冷房がありませんでした。ただでさえ軍艦色の船体は夏の日差しでフライパンのように焼け、寝る時間になっても部屋は蒸し風呂のようでした。部屋の窓(ポールドといいます)を開けて風を入れるのですが、風に対する舷の向きが毎日変わる(不公平にならないよう)ので、2日に1日は部屋がオーブンのようになります。夜中にかいた汗が明け方冷たくなって、びしょびしょのベッドで目が覚めたことが何度もありました。

でも調査期間の2カ月は、見るもの聞くもの全て興味深く、調査終了後はデータの確認をすると仕事が終わり、船の人と酒を飲んだり、釣りを教えてもらったり、楽しい楽しい毎日でした。PCが調査の現場に配備され、データ入力だメールだなんだ…となるのはこの2年後のことです。PCが入って便利にはなりましたが、この時のようなある種のんびりとした時間はなかなか味わえなくなったのです。

そう言えば、この航海では毎日の日報が電信で送られていました。今ならメールかFAXですが、当時は専用の紙に書いて局長さんのところに持って行くと、トンツートンツーと電鍵を叩いて送ってくれたものです。なるべく字数を減らそうと、調査は「チサ」燃料は「ネンユ」などと簡略化していたのを覚えています。

今は昔、のお話でした。

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Author:mesoplodon
子供の頃から「生き物」「乗り物」「化け物」好き。海やら街やらで写真を撮っています。

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